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オードビーで調整すると顔の一部です。

三密と書くと真言密教を想像するひとと壇蜜を想像するひとはどちらが多いのだろうかなどと考えていて、壇蜜はみつの字が違ったと思い出したりしながらペダルを漕ぐ。荒川の河口にむかって走ると向かい風で強風。強風と聞いて昆布出汁だねなんていうひとは僕以外に何人いるのかなどと考えながら風の抵抗に抗う。

 

荒川右岸の突端に到着して白く波打つ川面を眺めながらしばし休憩をする。ソーシャルディスタンスは最短で10メートルくらいか。スポーツサングラス プロショップ オードビーで調整してもらってかければぼくの顔の一部となってかけていることを忘れるサングラスの調光レンズが真っ黒になっている。このRH+はぼくのお気に入りでとにかく軽いのが良い。調光レンズは3年程度で性能が落ちるからフレームはそのままでレンズだけ交換してそれももう3回くらいしたか。

 

サングラスを広げて上からみるといびつに歪んでいて、でもかけると僕の顔にぴったりあうから僕の顔がいびつに歪んでいることになる。ひとの顔は工業製品と違って歪んでいるものなのだ。サングラスは工業製品でありながら歪められて初めて完成品となる。だからどうしたと言われそうだが、不完全さを許容することで人間を受け入れ人間はサングラスを受け入れる。サングラスでさえそうなのだから、人間同士はなおのことお互いの不完全さを許容し合わなければいけないんじゃないのかい?