2019年4月17日(水)

十三や商店 つげ櫛職人 竹内敬一さん

 

 

東京都台東区上野2-12-21

TEL:03-3831-3238

営業時間:10:00〜18:30 日曜定休


東京都台東区上野。不忍池の畔にツゲ櫛専門店十三やはある。創業は1736年。今(2019年)から二百八十三年も昔だから老舗中の老舗である。

 

1736年、元号は桜町天皇が即位して元文元年を迎えた年である。江戸幕府は八代将軍徳川吉宗が治めていた時代だ。徳川吉宗と言えば元文の前、亨保の時代に享保の改革を行った将軍であり、幕府の財政再建のために米相場を改革したため、米将軍と呼ばれた。米の字をばらして八十八将軍と書くこともある。

 

米相場の改革というのはすなわち年貢率を引き上げることにほかならずこれは農民の反撥を買い百姓一揆を招く結果となる。しかし強制的に税収を確保したため幕府の財政は立ち直り江戸幕府の中興の祖などと呼ばれるようになるから立場が違えば見方も変わるとはこのことだ。1736年享保二十一年元文元年という時代に何が起こっていたのか調べてみればなんだ現代とさして変わらないではないか。年貢の代わりに消費税がありそれが今年は8%から10%へと増税される。江戸時代と違い現代では一揆がない。それだけだ。一揆があっただけ江戸時代のほうが気概があったとも言える。現代はそうした気概を見せると冷笑する時代である。かなしいかな。当サイトGRIT JAPANは気概、熱意、情熱の塊しかない。冷笑ほどかっこ悪いものはないと思っている。余談。

 

徳川吉宗は増税だけでなく倹約も求めたという。使っちゃいけないというから消費が冷え込む。経済が落ち込み芸術は停滞した。そんな侘しさすら感じさせる時代のさなか、ツゲ櫛店十三屋は開業する。創業者の名前は定かではない。名前どころか二百八十三年の歴史が刻まれた数々もいまや一つも残っていない。あったものはすべて1923年大正十二年に発生した関東大震災によってすっかり焼けてしまったためだ。昔を語れるような書物は何一つ残っていないという。残念だ。ちなみに第二次世界大戦における東京空襲では被害を免れたそうである。しかしそのときすでに大正十二年以前のものはなにも残っていなかった。

 

言い伝えによれば創業者はもともと仙台藩に所属する下級武士だった。徳川吉宗が行った金融圧迫政策は下級武士にも影響を与えたようだ。武士は食わねど高楊枝などとやせ我慢を言っているにも限界がある。江戸太平の時代に戦争など起こる気配すらない。本来戦うことが職業でもある武士にとって本業からの収益が上がらない以上複業で稼ぐほかない。櫛づくりはそんな逼迫した生活環境の中で始めたアルバイトがきっかけだったという。

 

余所の櫛屋で腕を磨きいよいよ自分の店を開こうという段になってすでに自分が脱藩していたことを思い出す。つまり店の名前を決めるにあたって本来なら名字なり所属していた藩の名前を入れたりするのが簡単かつ覚えやすいのであるが、脱藩すなわち関係者でない以上その手は使えない。そこで櫛の「く(9)」と「し(4)」を足して「13」だから十三や。洒落も効いているしわかりやすくてインパクトもある。いい名前をつけたもんだと気分もよい。「十三やなんですかそれは」と聞かれたら「9と4で13,櫛屋です」と答えるからなるほどそいつは覚えがいいやってんで洒落好きの江戸の市民たちには好評だったのではないかと推測する。かくして十三やは誕生した。

 

動乱の江戸後期武士のままであったら一兵卒としてその命もどうなっていたかわからない。しかし武士から職人へと職業を変えていたから倒幕騒ぎも蚊帳の外。手づくりされるツゲ櫛は出来がいいと各方面で重宝され十三やは評判の店になっていた。もちろんその時代には櫛屋はほかにもたくさんあったが、明治大正昭和と時が進むにつれてすこしずつ店の数が減っていく。職人の老化後継者不足市場の縮小安価な輸入品の席巻。そうした時代の荒波が十三やを襲わなかったといえばもちろん襲った。しかし十三やは生き抜いた。代を変え職人が変わっても十三やは変わらずツゲの櫛一筋で平成三十一年令和元年の現在十四代目と十五代目が揃って仕事場に並ぶ。それは二百八十三年連綿と続いてきた父と子、先代と当代、師匠と弟子。師匠は弟子に超えられるために存在するといったのはマスター・ヨーダか。したがって十三やのツゲ櫛を作る技術は高まり品質も上がった。テクノロジーの進歩もあった。江戸時代にはなかった電動丸ノコが作業性をあげ品質向上にも繋がった。しかし十三やのツゲ櫛を十三やのツゲ櫛に仕立てるのは今も昔も愚直なまでの手作業だ。

 

ツゲは材料としてみれば、強度があり重く緻密な木材である。木目の細かさも特長であり黄色みをおびた木肌は美しく根付や彫刻などの美術品、工芸品として古くから使われている。江戸時代では浮世絵の版木のとくに顔や髪など細かい部分においてのみツゲが使用されてきた。版木は桜材を用いるのが通常だが、細かい描写部分においてのみツゲが使用されるのはその強度所以である。また固く狂いがすくない特性を生かして定規や測量器具としても用いられてきた歴史がある。

 

ツゲは学名をBuxus microphylla var. japonicaという。Japonicaが示すとおり日本固有変種である。ツゲを黄楊と書くと厳密には台湾に自生するタイワンアサマツゲを指し日本のツゲとは種が異なるが一般的にはその区別はされずに漢字を当てられることが多い。しかしここでは鹿児島産である日本のツゲのみを扱うためあえてカタカナで書きその区別をする。英語ではツゲをBox woodと呼び、日本のツゲはJapanese Boxである。Box(箱)の由来は古代ギリシアに遡る。ツゲそのものは世界各地で自生する木で、その性質より古代ギリシアでは化粧箱の材料として利用されていた。そこから箱材であるツゲはそのまま箱木(Box wood)と呼ばれるようになった。

 

 このように世界各地で自生もしくは栽培されるツゲであるが、中でも日本のツゲが最高とされ希少価値の高い材料になった。日本のツゲが高品質である所以は木そのものの性質もあるが、栽培方法もまたその品質向上に寄与している。鹿児島でははんこ用のツゲは五メートル置き、櫛用のツゲなら十メートル置きに植えられる。そして十年ごとに根っこごと掘り起こして南北を逆にして植え直す。こうすることで偏りがない美しい同心円状の年輪を持った材木が手に入る。こうした手間暇に加えツゲは成長が遅い木である。その遅さゆえに密な木肌が得られるわけであるが、遅いということは製品として出荷されるまでに何十年もかかるということでもある。どのくらい遅いのかと言えば、これが杉であれば樹齢八十年ならその直径は何十センチにもなっている。しかしツゲは八十年経って直径が十センチほどにしかならない。したがってツゲは木そのものが小さく、そこから取れる板の数も少なくなるため高価になるのは当然とも言える。

 

例えば出荷まで五十年を要するとする。その木は祖父母の代に植えられた木で孫の代になってようやく商品となる。今自分が植えている木は自分が生きているうちには商品にならず未来の孫に託される。ツゲに限らず林業なら当たり前かもしれないが、そのタイムスパンには目眩がするほどだ。林業ほど「受け継ぐ」という言葉がこれほどしっくりくる職業は他にないだろう。木だって言っている、ツゲと。

 

ツゲという名前がつく木でほかにイヌツゲという木がある。庭木や垣根などによく利用される樹木で、ツゲといいながらツゲとは無関係でモチノキ科の植物である。このイヌツゲを一般的にツゲツゲと呼んでしまうことから本来のツゲはホンツゲなどと呼ばれたりする。見た目が似ていることからイヌ「ツゲ」と言われているが、葉の生え方が本来のツゲとは違い互生(互い違いに生えること)である。対してホンツゲは対生といって左右対称に葉を生やす。ちなみにイヌツゲのイヌというのはイヌに似ているからとかイヌが好きで食べてしまうからイヌというのではなく劣るものという意味でイヌとつけられている。現代の犬好きが聞いたら発狂しそうな命名である。ネットなら炎上確実な案件だが、なにが劣るのかというとツゲに見た目が似ているが材料としてツゲに劣るという理由だそうだ。材質が劣るのは成長のスピードにある。ツゲの目がつまった木肌は成長が遅いことが要因である。そしてイヌツゲは成長が早い。それ故密な木肌は得られず似て非なるものだけならよかったがすでにツゲは高級素材としてその地位を確かなものにしていたためさらに劣るという形容詞まで与えられてしまったのである。イヌツゲ本人に言わせればツゲでもないのにツゲとつけられ、おまけに劣るという形容詞のイヌ(命名当時の)までついてまったくいい迷惑だ。

 

ツゲはその硬さ、木目の細かさ、木肌の美しさから古来より櫛以外にも様々なものに使われてきた。小物が多いのは木自体が小さいからであるというのはこれまでにみてきた通りだ。その一例をあげよう。根付などの装身具、はんこ、将棋の駒、版木の細かい部分、そろばんの珠、三味線のバチ、彫刻品、洋傘柄、定規、指物家具、測量用具、木管楽器、寄木細工、木象嵌、義歯。将棋同様にチェスの駒もツゲで作られることがある。

 

現代において櫛と並んでツゲを多く利用するのがはんこである。はんこ屋さんに行けば象牙や水牛の角、マンモス、チタンにならんでツゲ製のはんこが並んでいるのを見るだろう。しかしそのはんこが本当にツゲ製かどうかは売っている店の誠実さ次第だったといったら驚くだろうか。

 

ツゲは高級素材であると同時に希少素材でもある。そこでどこかのだれかがツゲによく似た木をみつけてきた。それがシャムツゲと呼ばれる輸入木だ。このシャムツゲ、イヌツゲと同じくホンツゲとは縁もゆかりもないアカネ科クチナシ属の植物である。木肌こそ似ているが、ツゲの持つ強度や粘りに遠く及ばず品質は悪く当然安価である。しかし見かけで一般人には区別がつかないことからはんこ業界では当たり前にツゲとして使われてきた。シャムツゲと書く店は良心的と言え、ホンツゲと偽って売っていた店もあったのだからひどいものだ。はんこはその性質上使っているうちに欠けたり割れたり変形したりしてはならないものである。したがってはんこに使われる材料というのはそれ相応の性質が求められる。ツゲは木材の中では強度が高く粘りがありはんこの素材としては最適なものである。しかしシャムツゲにはそれがない。そんな偽物がまかり通って良いはずはなく、公正取引委員会によりツゲでないものはツゲとは名乗ってはならないという決まりができた。当たり前だが当たり前のことが当たり前として通らないのが世の中だろう。現在ではそうした偽物はきちんとアカネと表記しなければいけないことになった上、シャムツゲの輸入自体もなくなったというから一安心ではある。これは消費者だけでなく、ツゲ生産者や真面目に商売をしているひともほっと胸をなでおろしただろう。ようやくという思いかもしれないが。

 

櫛の歴史は意外と古く日本でも縄文時代の遺跡から櫛が見つかっている。もっとも櫛の用途が現代のスタイリング用品とは違い、虱や蚤など寄生虫を取り除くための衛生用品だったのではないかという見方があるそうだ。櫛は動物の骨やすでに木材を加工して作られていたらしい。奈良時代にはすでにツゲ櫛が登場しているため、ツゲ製の櫛の誕生は実はかなり古いのかもしれない。

 

 

 

JR上野駅を下りて中央改札を出、上野公園に向かうが公園には入らず不忍池へ向かう。上野の風景はそこかしこの建物が新しくなったりしてはいるものの何十年も前とあまり変わった気がしない。何十年といってもせいぜい三十年程度の記憶しかないのであるがもっと古い時代を知っているひとでさえあまり変わったという印象は抱かないのではないかと思う空気が上野にはある。なぜかと言われると答えられないがいつも上野駅に降り立つと郷愁のような情を感じずにはいられない。不忍池のほうへと折れてすぐに十三やはある。今でこそ鉄筋コンクリートの十三やビルが建っているが、1736年以来ずっと同じ場所に十三やはある。これは考えずともとてつもないことである。たいていの人は一度や二度の引っ越しを経験しているはずだ。ところが十三やは二百八十三年間一度たりとも引っ越しをしていないのである。ツゲ櫛づくりが代々受け継がれてきただけでなく創業時から場所も不変なのである。眼の前のビルを眺めているだけではみえない事実を知った時十三やの底力を知ったような気がした。継続は力なり。

 

初めて十三やを訪れたのは2012年のことである。妻が突然ツゲ櫛がほしいと言い出しネットで情報を集めて十三やのツゲ櫛がいいと言ったのである。今思えば妻の嗅覚は鋭かったのだ。つまり正解だったのである。十三やのある上野までは自宅から自転車で二十分程度の距離にある。ロードバイクに乗って二十分ではあるが。当時懇意にしていた自転車屋が御徒町にあったし、なにより不忍池に面して建つ十三やに迷うことなくたどり着いた。

入り口はガラスの引き戸がついていて中をうかがい知ることができる。こうした職人の店に入るのは緊張半分期待半分の気持ちで心臓がドキドキする。緊張というのは一度敷居をまたいだら手ぶらでは帰れないかもしれないという怖さから来る。実際はそんなことはもちろんないのだが敷居が高いイメージはあった。期待というのはどんな興味深い話が聞けるのかということである。どんな商品が置いてあるかではない。どんな話が伺えるかである。作り手のこだわりを聞くのはいつだって楽しいし、商品への愛着にもつながる。モノそのものがもつ機能や性能はもちろん大切だが付随するストーリィもまた重要であることは往々にしてある。とくにツゲ櫛のような実用品であると同時に工芸品でもあるような商品の場合、「物語」が商品価値を高める重要な役割を果たす。卓越した技術のもとで連綿と作り続けられてきたという事実が歴史になり伝統を打ち立て物語を醸成する。物語はブランドである。十三やという屋号に単なる記号の組み合わせ以上の重みを感じるのは物語の存在があるからである。

 

店に入るとショーウィンドウよりもまず最初に目に飛び込むのが仕事場である。十三やは客の目の前で櫛を作っているのだ。櫛を客の目の前で作っているのは日本広しと言えどここ一軒だけだという。ショーウィンドウに置いてあるのはほとんどサンプル品で注文製作が基本となる。価格は櫛の大きさで決まり大きければ大きいほど高価となる。だからといって懐具合で商品を選ぶべきではない。自分が使用するシチュエーションを考慮して最適なサイズを選ぶのが正解だ。もちろんポータビリティを優先するなら小さい櫛を選ぶのも正解である。

 

実はあまり知られていないが、オーダーメイドにも応えてくれるという。使い慣れた既成品の櫛と同じ歯の深さにしてほしいとか、形状的な融通も聞いてくれるそうだ。もちろん完全にフリーデザインということはなくある一定の範囲内であればということだが、世界で一つだけの自分の櫛を作りたい方は一度相談してみるとよいだろう。

 

 

2012年に購入したときは完成までにそれほど待った記憶はないのだが、現在では約四ヶ月待ちとのこと。これでも少し前よりは待ち時間が短くなったそうで、長い時は半年待ちだったこともあったそうだ。買いに行けば早く手に入れたい気持ちになるだろうが、ツゲ櫛は手に入れてからの付き合いがそれこそ一生続くのだから数ヶ月待ちなどたいしたことがないと言い聞かせ気長に待つのが吉といえよう。

 

 

ツゲ櫛は折れたり欠けさせたりしなければ文字通り一生モノになる。使用十年未満ではまだまだ新品みたいなもので、十年過ぎると馴染みが出いよいよ自分の櫛となってくる。良いものを長く長く愛用する。なんでも使い捨ての現代において、一生モノの道具を日常で使うという心の豊かさをぜひあなたも知ってほしい。