2020年2月26日

Twinkle Nail オーナーネイリスト・ダメージネイルケア講師 内野 利恵子さん

 

【店舗】自宅プライベートサロンのため、お客さまに直接お伝えします。

【営業時間】月〜土 11:00〜19:00 日曜定休

完全予約制。ご予約は公式サイトからお願いします。

 

オフィシャルサイト

https://twinkle-nail.shopinfo.jp/

 

Blog

https://ameblo.jp/twinklenail0421/

 

Instagram @Rieko.u_twinkle

 

 


ヘンナという植物がある。和名を指甲花(シコウカ)といいミソハギ科に属す。日本ではあまり馴染みのないヘンナであるが、インドから西へアフリカまで広く分布する植物である。ヘンナの葉を擂粉木ですりつぶし、さらに水を加えてドロドロになるまで擦る。これを手足に塗って完全に乾燥するまで二時間くらい放っておく。すると、乾燥時に気化熱を奪うことで得られる冷却効果がある。だからエアコンのない時代の乾燥して暑い地域では貴重な冷却源として病人の治療にも使われていた。古代エジプトでも病人の治療にヘンナを利用していたという記録が残っている。

 

さらに乾燥したヘンナを剥がすと塗ったところの皮膚を強化できる効能があるという。素足で歩くことの多かった時代に足の裏の強化は欠かせないものだった。海へ漁に出る男たちは手のひらに塗って櫂を漕ぐときの怪我を防いだという。これは近代になってもアラビアの砂漠地方では一般的に行われていた習慣で、乾燥地帯の鋭利な地面を歩くのに足の裏が硬いというのは重要だった。逆にヘンナによって強化された足を持てば、蒸れる靴などは不要なのだろう。

 

 

こうした実用的な理由で用いられたのとは別にヘンナが重宝された分野がある。化粧或いは装飾、つまり美に対する追求であった。ヘンナには染色効果があり、ヘンナを塗った皮膚は黄色い色がつく。かのクレオパトラも爪にヘンナを塗って色をつけていたといい、古代エジプトのミイラの爪にヘンナが塗られていたこともあったようだ。ここにマニキュアの起源の一つをみることができる。遥か古代より、爪を染めるということが美しさを高める要素として欠かせないと人類が認めていたことの証でもある。

 

 

マニキュアは、ヨーロッパにおいて十九世紀末ごろには手と爪の手入れを総称した言葉であった。当時の西洋の女性たちにとって爪の手入れは色をつけることではなく、主に磨くことであった。そのためのヤスリやポリッシャー、爪磨き粉、爪磨きクリームなどが売られていたという。素の爪を磨いてピカピカにしていた時代から彩色して美を演出するようになるには、自動車用の速乾性ラッカーの開発を待たねばならない。それは1923年頃と言われている。自動車のボディを塗装するための塗料として作られた速乾性ラッカーを応用してネイルエナメルが誕生する。

もともとが自動車用の塗料のため、マニキュアの健康被害は想定されるべきものであった。もしあなたが男性ならマニキュアやそれを落とす除光液(アセトン)から少年時代に一度や二度は手にしたプラモデルを想起するだろう。マニキュアに使用する材料はプラモデルに使用する塗料や接着剤とほとんど変わらないものだからだ。だからかつてのネイルサロンは揮発した溶剤の臭いで充満していたし、家庭でマニキュアを塗ると煙たがれた(私は煙たがった方)ものである。

 

 

そうした事態が一変したのは光重合開始剤(ジェルネイルのこと)の登場による。光重合開始剤は紫外線や可視光を受けることで樹脂を硬化する作用をもたらす。その種類によってエポキシやアクリルを固めることができることから従来のマニキュアで用いてきたクリア層形成の代替品として現在ではほぼすべてのネイルサロンが採用しているのではないだろうか。私はネイルサロンはシンナー臭くて嫌だなという古い認識のまま訪れてまずその臭いのないことに感動した。

 

 

品川で東海道本線に乗り換えて一路辻堂を目指す。四十分列車に揺られるとようやく辻堂駅に到着する。駅舎を出るとまばゆい太陽が出迎えてくれる。光は町並みを白く照らし出す。東京とは明らかに違う光の色がそこにある。街が白くきらめき、太陽の光の強さに目を細めた。神奈川県の、とくに海岸沿いの街へくるといつも感じることがある。それは空気の色が違うのである。それは大気汚染の度合いというよりも、空気の色そのものが違うといったほうがしっくりくる。辻堂のそれは東京に比べたら明らかに白い。それはそのまま街の明るさに繋がっている。

 

 

辻堂駅の海側の出口を出て一本道を歩く。どんどん歩いてしばらく行くと、そこが今回の目的地ネイルサロン・トゥインクルネイル(Twinkle Nail)だ。Twinke Nailはオーナーネイリストである内野利恵子さんの自宅の一部屋をサロンとしているプライベートサロンである。そのため住所は非公開。お客さんにだけ直接伝える形式をとっている。だから最初は私もなかなか所在地を教えてもらえなかったが、紹介者の存在も手伝ってようやく内野さんが重たい口を開き、今こうしてGRIT JAPANの制作ができている。

 

内野さんは双子の母として忙しい子育てをしながら同時にネイリストとして日々仕事をしている。ネイルサロンといえば、わざわざ神奈川県藤沢市まで来なくてもそれこそ星の数ほど東京にある。それがなぜ辻堂なのか。なぜ内野さんなのか。

 

 

 

内野さんのネイルサロンの特徴は、一般的なネイルアートに加えてダメージネイルケアを専門的に行っている点が挙げられる。ダメージネイルとは、そのほとんどが深爪である。深爪は単に爪を切りすぎたのではなく、爪を噛む癖によって引き起こされる。爪を日常的に噛んでしまう理由は様々だが、その根底には精神的不安定さがつきまとう。一般的なネイルアートとダメージネイルケアの一番の違いは、美観の追求に終始すればよいネイルアートに対して、ダメージネイルケアは美観を保ちながら同時に心に寄り添うことが必要であり、そのサポートこそが第一に求められるものになる。内野さんは自分は心理療法の専門家ではないから迂闊に踏み込んではいけない領域としながらも「ネイリストとしてできることがある」と意気込んだ。

 

 

実際、ダメージネイルで来訪した場合初回のカウンセリングには最低一時間はかけるという。来てくださった方が少しでも安心して受けられるようにそれだけの時間は必要なのだ。深爪によって失われた爪の再建は、最終的には本人の意思力にかかっている。しかし一人では挫けてしまうことも、ネイルアートの技術とこころの支えという二つを内野さんがサポートすることで再び自分の爪を取り戻すことも不可能ではない。現実に、爪の半分以上が失われてしまった指先にプラスティックではない自分の爪を取り戻すひとがいる。長い時間をかけて再生した爪はかつて以上に輝いてみえるに違いない。そして、爪の輝きは同時に笑顔をもたらしひとを生き生きとさせるだろう。内野さんがダメージネイルのケアを天職だと感じ、その道に邁進する理由が垣間見えた瞬間だった。

 

 

今でこそ内野さんはネイリストが天職であると信じて疑わないが、その天職は自ら望んで得たものではない。基本給二万円。出来高歩合制の給料だったビジネススクールのスタッフ時代、毎月二万円で一年過ごし、心身ともにぼろぼろになった。もちろん二万円で生活できるはずがない。平日は夜中にバイトをし、休日返上でバイトをして食いつないだ。仕事のレポートは溜まる一方なのに、成果がないから給料は変わらず二万円だった。消費者金融から借金もしたことがあるという。追い詰められていた。塩ゆでのパスタを食べ、水道水で喉を潤した。限界だった。怒号の飛び交う朝礼で、ついに内野さんは倒れた。学校の真夏の朝礼だって倒れたことがなかったのに。

 

 

さっさと辞めればよかったじゃないか。ひとはそういう。私もそう聞いた。実際人材の流動が激しい職場だった。それでも内野さんが辞めなかったのはなぜか。内野さんの精神が強靭だったから? 確かに自分の楽観主義に助けられたと内野さんは言った。しかし最終的に体を壊してしまうのだから精神の強靭さだけでは語れない。憧れの先輩がいた。仕事のできる女性だったという。そんな女性にいつかは自分もなりたいと内野さんは憧れを抱いていた。辞めなかった理由、或いは辞められなかった理由があったが、内野さんは耐え抜いたのだ。そして一向成果があがらず果てに体を壊した内野さんはついに部署替えと相成った。多角経営のその企業は、ビジネススクールの他にネイルサロンを経営していた。固定給だった。

 

 

これ以下はないというほど劣悪な環境を経験し、生き残った。その結果内野さんに宿ったもの、それは人間としての強さであり、人間を見る目であり、弱い人間に寄り添うこころだった。ネイルアートなどまったくど素人だったが、石の上にも三年と腰をすえて取り組むことにした。それが思いのほか自分にあっていた。とくに接客する行為が楽しくて仕方がなかった。ネイリストを目指してきたひとに比べたら技術や知識はずっと不足していた。だから勉強した。練習も重ねた。ネイルアートに関しては決して器用なほうではなかったから人一倍練習をしなければならなかった。しかしあの劣悪時代を思えばどうってことがなかった。それよりも客と接することが純粋に喜びになっていた。

 

 

バックパッカーというと、無精髭をはやして短パンをはいた男という先入観があるから内野さんがバックパッカーだったときいて驚いた。その容姿からまるで想像つかないが、学生時代に世界中を旅してまわったそうだ。途上国をめぐり貧困を目の当たりにして胸を痛め、いつかそうした人たちのためになることがしたいという思いを抱くようになった。学校を建てるひとたちがいる。しかし学校を作っても学校へ通うお金がない子どもたちは行くことができない。そんな子どもたちを抱える家族がきちんと稼ぐことができる仕組みを作りたいのだと内野さんは言った。

 

例えば、あるプロダクトをデザインし、製造を彼らにまかせる。完成したプロダクトを売るのは先進国の役目というわけだ。グローバル企業が少しでも安い人件費を求めて途上国に工場をつくるのとはまったく逆の発想で、貧困にあえぐ人々の利益を最優先させたものづくりの仕組みを構築するのが内野さんの夢である。

 

そしてその夢を実現させるために内野さんは独立したといっても過言ではない。自らがネイルサロンのオーナーになることは、夢の実現にむけて重要な一歩だった。社会貢献がしたいと内野さんは事あるごとに言った。海外で事業を起こすのも社会貢献のためであるが、ダメージネイルケアもまた社会貢献活動である。世の中には爪を噛む癖が止められないひとが大勢いる。そのひとりひとりがそれぞれの不安や問題を抱えている。そうしたひとたちをひとりでも多く救いたい。美しい爪を取り戻したときの笑顔は内野さんにとってなによりも宝になる。ひとのために役に立ちたい。社会貢献活動がしたい。内野さんはネイルサロンTwinke Nailを通じてその思いをひとつずつ実現していく。

 

 


参考文献

 

異文化の探究 民俗学の旅・続々 梅棹忠夫編 「アラビアのマニキュア」片倉もとこ著 講談社 1986

 

輝きはじめた女たち 20世紀の化粧と旅 津田紀代編 ポーラ文化研究所 2007