2019年9月2日(月)

霧下そば本家 八代目 田光 誠さん

 

東京都墨田区文花1-34-3

TEL: 03-3617-4197

 

霧下そば公式サイト

http://www.kirisita.com/

ザ・パーマネンツ

http://www.the-permanents.com/


1772年、新潟と長野の県境にある妙高高原で霧下そばは創業した。もともとは米屋をやっていたという。その米屋の傍らそば粉を挽き始めたところ評判を呼び次第にそば粉が主力商品へと変わっていった。1772年は元号で言えば安永元年であり、第十代将軍徳川家治の時代であった。

 

 

東京墨田の地に本社を移したのは六代目である。八代目を継ぐ現当主である田光誠(たこう まこと)さんの祖父の時代のことだった。江戸時代よりその蕎麦の味わいで名声を得ていた霧下そばは東京に移してなお一層そば屋にとってなくてはならない存在になっていた。聞けば取り引きのあるそば屋は全国に五百軒以上あり、そのうちの二三百軒には常時そば粉を卸しているそうだ。霧下そばへの信頼の厚みが伺える数字である。

 

田光さんと知り合ったのは東京都江東区亀戸にある「養生料理高の」のご主人高野さんのご紹介によるものである。以前GRIT JAPANにご出演いただいた縁もあってなにかと良くしてくださる高野さんにGRIT JAPANにふさわしい人を紹介してほしいと頼んだところ、霧下そばの田光さんをご推薦なさったのである。私が紹介を頼んだときの高野さんの第一声が「霧下そば!」であった。「霧下そばの田光さんしかいない。いや他にいないことはないけど、まず最初に声をかけるべきは霧下そばです」高野さんは私にそう言い放った。その場にいた常連客もまた田光さんが受けてくれれば最高ですと援護射撃する。勢いづいた高野さんにいたっては、田光さんが受けてくれたらその次がいないんじゃないですかとまで言い出す始末である。それほどまで信頼をおく田光さんとは一体どんなひとなのか、霧下そばとは一体なにか。期待は否が応でも高まった。

 

日を置かないうちに返事はきた。まだ見ぬ田光さんはとりあえず飲みながら話を聞きましょうと言ってきましたと高野さんから連絡を受けたのである。場所はもちろん「養生料理高の」である。すぐにでもお会いするつもりでいたが、私が熱中症からの感染症でダウンして実際にお会いしたのはそれから二週間ほど経過してからのことだった。

 

そして田光さんが登場する。約束の日、予定の六時半に十分ほど早く着いて先にテーブルにつく。事前にリサーチしてはいるものの、初めてのひとと会うというのはいつだって緊張する。高野さんにビールを注文してジョッキのオリオンビールに一口つけたところで田光さんが現れた。彫りの深い顔立ちに一見して人当たりのよさそうな雰囲気をたたえている。しかしお互い初対面である。そして酒の場で初対面というのはどうもいけない。今まで何人も初対面でお会いしてきたがいずれも事務所やそれに近しい状況である。酒の場で顔合わせというのは初めてのことだ。話下手の私はGRIT JAPANのビジョンをきちんと伝えられるか不安になった。案の定酒だけがすすみ、BGMや他の客の喧騒に埋もれるようして説明をしたんだかしてないんだか、理解されてるんだかされていないんだかよくわからない状況になりつつあった。何度か同じ話をしたような気がしたが、なにしろ騒音にかき消されやすい私の声のことだから自信がない。だけどもだらだらと酒を飲んでいるのもよくないし、それが目的ではない。時間ばかりが過ぎていくのが気になってそれで私は、「どうですか興味ありますか」と単刀直入に聞いてみた。するとそれまでの雰囲気からすると意外なことに「はい、ぜひお願いします」と田光さんは言ったのである。

 

THE PERMANENTS

田光さんはミュージシャンである。そば粉屋を継ぐ前は生粋のミュージシャンであり、現在は家業であるそば粉屋を切り盛りする傍ら音楽活動を行っている。田光さんは自身の髪型にちなんだネーミングのザ・パーマネンツというバンドをもって活動しているという。田光さんはそば粉と同等或いはそれ以上に音楽に人生を捧げているのだからGRIT JAPANとしてもそば粉屋としてのお話だけを聞いても田光さんという人間を描けはしない。やはりミュージシャンとしての田光さんにも強力なスポットライトをあててこそ田光さんらしさを表現できるというものである。都合のいいことに近々近所でライブをするというから、まずはそのライブを撮影することになった。

 

東京都墨田区内では、すみだストリートジャズフェスティバルと題して毎年真夏に音楽祭を開催している。ジャズフェスティバルと言っているが演奏される音楽は基本ノンジャンルのようだ。また〜区内ではと書いたのは、このイベントが市民ボランティアによって運営されているからであり墨田区が主催ではないからである。さて、初顔合わせの翌週にそのフェスティバルが催され田光さん率いるザ・パーマネンツもステージに上がることになっていた。当日、ライブの時間に合わせて曳舟のキラキラ橘商店街にあるキラキラ会館を目指した。初めて足を踏み入れたその商店街は、キラキラの名前もむなしくシャッター通りだった。しかしその日ばかりはジャズフェスティバルのために訪れた人たちによってかつての賑わいを少しだけ取り戻したのではないだろうか。普段ほとんど人通りがなさそうな街でイベントを行う。地元を愛し、地元を盛り上げようとしている有志の気持ちが溢れていた。

 

 

キラキラ会館もまた言ってみれば町の集会場である。コンクリート打ちっぱなしの外観は商店街の雰囲気からすれば普段は異形であろう。しかし今日はその外観が活きるライブ会場へと変貌していた。一階のライブ会場となる集会場は立ち見がでるほどひとひとひとで溢れかえった。ザ・パーマネンツの人気の高さが伺える。怒涛のように次から次へと曲が変わっていく。ライブ会場らしく音量は爆音であり、おまけにスピーカーが目の前だったため、マイクの入力制限をかけてさらに録音レベルを絞りに絞っても時折レッドゾーンにメーターが飛んでいく。田光さん、ひいてはメンバーのパフォーマンスによって会場は大いに盛りあがり、時間はあっという間に過ぎた。一緒に来ていた高野さんが涙を流して感動していたのは余談である。

 

 

ザ・パーマネンツを聴きながら

 

今この原稿はザ・パーマネンツのCD「酒人(さけじん)」を聴きながら書いている。インタビューでそばにちなんだ楽曲は作っていないのですかと聞いたところ、もちろんありますとこのCDを貸してくれたのである。「蕎麦月夜」と題したその曲は二曲目に収録されていた。映像のBGMに使用……しませんでした!田光さんごめんなさい!

というのも、GRIT JAPAN制作の信念として、極力演出を廃するというのがあるためなのです。詳しい説明は省くが、耳触り、目触り(見栄え)を良くしないように作っているのである。長年広告映像を作ってきた末に掴んだ真実がそこにある。

 

田光さんが様々なジャンルの音楽に携わってきた中で、最終的にたどり着いたのは歌謡曲なのだという。田光さんに言わせれば、歌謡曲というのはその時々の流行りをなんでも飲み込んでしまえるジャンルの音楽で、その度量の深さが魅力であるそうだ。和洋折衷ある意味とても日本らしさを表現した音楽なのかもしれない。

 

音楽とそば

そば粉を挽く。霧下そばの工場(こうばと読んでほしい)には何基もの石臼が並んでいる。最初は人力で、やがてそれが水車などの動力に代わり現在はモーターの力でゴリゴリと回している。石臼で挽くとその粒子がまばらになる。そしてそのまばらさが手打ちそばには相性がいいという。しかし石臼の回転数、そばの実の時間あたり投入量によって出来上がるそばの味わいに違いが生まれる。だからそば粉を挽くのはノウハウの塊だ。そしてその多くはこれまで培ってきた歴史とベテラン従業員たちの経験の上に成り立っている。それはほとんど職人世界である。しかし田光さんにはいい意味で職人気質的なものは感じられない(むしろ職人肌を感じるのは音楽のほうだ)。「伝統を守ることは大事。でも同時に新しいそばの世界を作っていきたい」と田光さんは言う。自分の得意な音楽にそばを重ね合わせるのは当然だろう。そばの曲を作ったり、ライブでそばがきを振る舞ったりしたこともあるそうだ。ライブに来る若い人たちはそば屋に行くことがあまりないらしくそばがきを食べるのが初めてというお客さんが多かったという。

 

田光さんのそばの美味しさを広める活動はとどまらない。2022年には霧下そば創業二百五十年を迎える。そのときなにかおもしろいことをしたいと田光さんは意気込んだ。そしてそれが「今までで一番楽しいことになる」とおっしゃった。私も今からそれを楽しみにしようと思う。さて田光さんはどんなことを考えているのか。ヒントは霧下そばがそば屋ではなくそば粉屋であるところにあると想像しているがどうだろうか。

 

古くは新潟の妙高高原を発祥とし、今は東京下町に根付く老舗そば粉屋「霧下そば」は音楽という翼を得て、新しい世界へと飛び立ちはじめた。伝統と革新を掲げた老舗企業の挑戦は続く。