2021年1月22日

PRプロデューサー 白木 賀南子さん

 

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一つの企業や組織に所属して賃金を得るという形態が現在においても主流であることには変わりないが、一方でどこにも所属しないで生きていくことを決めたひとがいる。それが自分の店を構えることであるかもしれないし、組織から仕事を請け負うことであるかもしれない。いずれの方法にせよ、就職しないで仕事をすると決意して行動するひとの数は年々増加傾向にある。

 

 

日本全体でフリーランスの人口がどのくらいあるのか実は正確にはわかっていない。というのも形態としては個人事業主であり、例えば商店の店主やカフェのオーナーと同じくくりの中に入るからである。しかし一般的認識においてカフェのオーナーをフリーランスとは呼ばないから個人事業主からそうした人を除外することでその人口を推定することができる。内閣府の調査によると、自営業主(雇用なし)は長期的に減少傾向にあるが、特定の発注者に依存する「雇用的自営業主」は増加傾向にあるという。この雇用的自営業主が世間一般で言われるフリーランスに近いとし、それをフリーランス人口の推定数として2015年には164万人とある。

 

1969年に第一作が公開された「男はつらいよ」は寅さんでおなじみのシリーズ映画である。その全四十九作もある作品群を時系列で女性の働き方、社会的地位という視点で眺めてみるのもまた興味深い。初期に登場する女性はみな一様に「いいところに貰われる」「片付く」ことを人生の目標にして生きている。それは男性目線の態度にあるだけでなく、女性自身のセリフにも直接現れていて、「アタシも早く片付いてしまいたいわァ」などと言っているシーンがある。現在であればクレームがつきそうな表現だが、当時はそれが当たり前だった。男女の賃金格差も大きく、そうしないと女性は生きていけなかったのである。

 

「男はつらいよ」の後期に入ると女性が結婚をしないで一人で生きていく選択をする表現が登場する。1994年に公開された第四十七作で牧瀬里穂演じる菜穂は社会における新しい女性像を象徴する存在である。初作から二十年を経て女性の生き方は大きく変化した。ほとんど変化のない男性とは対称的に。寅さんとはまさに変わらない、変われない男の代表だった。常にノスタルジーの中で生き、変化を極端に嫌う存在として次々と脱皮を繰り返す女性の引き立て役だった。女性はついに翼を得て大空に舞い上がり郷愁を置き去りにして新しい世界をその手に掴んだ。就職するか、はたまたフリーランスとして働くか。新たな選択肢を前にして、フリーランスを積極的に選択できる時代を迎え、白木賀南子さんが登場する。

 

 

白木さんは三歳から八歳まで父親の仕事の都合でアメリカで過ごした帰国子女である。自由と個人主義で育まれた白木さんにとって日本の小学校はどんなに映っただろう。前へ倣えがあるといった規律上の違いは身を任せれば済む話であるが、日本人小学生たちの放つ同調圧力に対応する術を持つにはまだ若すぎた。もっとも大人でさえ同調圧力に対抗するのは難儀なことには変わりはないが。

 

 

 

髪型が違う。服装が違う。態度が違う。自分たちの常識の範疇から外れたことは全て皆異端と見なし排除しようとする。それまでだれもそんなことに気を止めたこともなかった場所で育った白木さんにとって日本で受けた排他的態度は心の持ちようを変えさせるほど大きな傷となって残った。「そのときひとの顔色を伺う術を身につけた」と白木さんはいう。自分を出さないようにして人の顔色を伺う。あのひとはどんなふうに考えているのか、とか。このひとはこういう言い方を好まない、とか。自分が嫌われないための処世術を小学生のうちに身に着けざるを得なかったことは実に悲しい。悲しみは日本人が持つ負の分かち合いを良しとする態度に対してであり、白木さんが悲しいのではない。

 

 

小学校で受けたカルチャーギャップによって白木さんがすっかり卑屈な人間になってしまったかといえばそんなことは、ない。自分を抑え他人の顔色を見ることが得意になったと笑顔で語る白木さんは小学生時代のエクスクルーシヴィティと和式トイレの使い方を辛かった話として同列で話す。日本の小学校に来て生まれてはじめて和式トイレに遭遇した白木さんは面食らう。なんだこれは。一体どうやってこれを使うのか。クラスメイトに聞くのも恥ずかしい。散々周りと違うことを指摘されたばかりだ。その上トイレが使えないとバレたら今度はどんなことを言われるのか察しがつかないほうがおかしい。同じ小学校へ通う妹もやはりトイレの使い方がわからないようだ。結局白木さんは学校のトイレは使わないという選択をした。学校ではトイレは行かずに家にお持ち帰りする、そんな日がしばらく続いたという。確かにトイレに行けないのは辛い話だ。

 

映像中のタイトルバックはフラメンコを踊る白木さんである。大学生時代にフラメンコの魅力に取り憑かれて以来生涯の趣味となった。受験勉強の反動で大学の勉強に身が入らず偶然出会ったフラメンコに傾倒した。傾倒しすぎて当時百人くらいいたフラメンコ部の副部長になったのはいいが、授業にも派手なフラメンコ衣装で出席する始末。なんでも好きなことはとことんやらないと気がすまない性格である。

 

サラリーマン家庭に育ったから大学を卒業すれば就職するのは当然の流れだった。しかしここで選択肢から大企業を外したというところに白木さんのこだわりがある。大きな組織に窮屈さを直感的に感じていたのだろう。幼少期を自由と個人の国で過ごした白木さんにとって、自分らしさを失わずに働ける環境が必要だった。どんな業界でも構わなかったが、これからはIT業界だろうとなんとなくそう考えた。そして自分でプリントアウトすらまともにできなかったにも関わらず、中規模のIT企業に就職を決めた。

 

 

将来に対する不安。人生の方向性に対する迷い。会社でのヘルプデスクの仕事はやりがいを感じていた。会社のために貢献しているという充実感もあった。だけど、これはわたしの人生なのかしら……。忙しすぎる仕事をただひたすらこなし、夜は飲み歩き、趣味のフラメンコにエネルギーを注ぐ。仕事と酒とフラメンコをぐるぐると繰り返す人生。それはたぶん悪いことじゃない。嫌いな仕事ならまだしも、今の仕事は自分に合っていた。好き勝手気ままに生きる。だけど、これはわたしの人生なのかしら……。約十年続けた仕事は自分を大きく成長させたが、自分のための仕事という認識は薄かった。会社のため、上司のため、同僚のため。もともとひとを喜ばすことが好きな性質である。縁の下の力持ちとして働くことに何の不満はなかったし、むしろそこに喜びすら感じていた。

 

 

思い返してみれば自分の人生はいつも人のために行動することが多かった。まったく素晴らしいことではないか!人のための行動。それは他人を幸福にし、ひいては自分を豊かにするだろう。しかし、選択はどうだ。その選択に自分の意義は尊重されたのか。重要な決断を自分のために自分を第一に考えてしたことはあったか。大学はとある私立大学を希望していたが、父と祖父が国立出を考えると自分も国立を選ぶことが家族を喜ばせると思った。だれも私立に行ってはいけないなどと言っていない。ただ勝手に家族の期待に応えたいという気持ちがたっていた。仕事では会社員として会社のために働くのは当然だが、人の顔色を伺う術は役にも立ったが同時に自分自身を抑え込む力ともなった。

 

 

仕事は充実してるし、酒は美味しいし、フラメンコは楽しい。でもそれは今が楽しいだけでなのではないか。このままずっとその楽しさを続けるのか。将来の不安を感じ始めていた。結婚して子どもを持ちたい。それには今のまま仕事を続けていたらとても無理だった。この忙しさではとても子どもなど持てそうにない。たとえ授かったとしても子どもと過ごす時間はいったいどこにあるのだろう。先輩の女性をみて不安は確信に変わる。今までと同じようにバリバリ仕事をして子育てなどとうていできることではない。心の余裕を持って子どもと接したい。それでは転職か。会社が変われば万事解決なのか。本当にそうか。本当にそうなのか。

 

 

「このとき生まれてはじめて自己投資のためにお金を使った」一念発起してビジネススクールに通うことを決めたことが白木さんの人生、自分のための人生の方角を決定づけた。フリーランスとして働こう。白木さんはついに自分のために選択をしたのである。ビジネススクールは仕事における将来の指南車になっただけでなく、未来の夫も見つける場にもなった。最良の相談相手こそ、我が人生の伴侶と気がつくには少々時間がかかったのは白木さんらしい一面である。そしてお相手である男性の一途な片想いが無事に成就したハッピーエンドの件はまったくの余談。

 

 

現在の白木さんは念願だった家庭を持ち子どもを授かり、IT企業(前職とは別)の広報責任者を請負い、出版プロデューサーとして働いている。仕事は出来高制なので自由に使える時間がぐっと増えた。生まれた時間は自分を見つめ直す時間だった。子どもと触れ合い、子どもの成長を日々実感できる喜びを与えてくれた。もっとも子育ては日々喜んでいられるほど甘くはないが、その苦しみもまたかけがえのない思い出に変わる。大事なのはそうした関わりを人の手に委ねずに自分で経験することであり、それこそが白木さんがかつて夢見たことだった。

 

 

広報の仕事と出版プロデューサーという関係のない業種を並走できるのもフリーランスの魅力だろう。知識や経験といった核となる部分では多くを共通しているからこそできるわけだが、その組み合わせの自由さはフリーランスならではである。フリーランスになって収入もあがって使える時間が増えていい事ずくめと白木さんは笑う。エステティシャン、結婚式の司会者を経験してみて、得意な英語を使って仕事がしてみたいとデンマークの企業で広報の仕事をした。そして現在はIT企業の広報と出版プロデューサーにたどり着き、将来は教育に関わる仕事がしてみたいと語る。その自由さこそ白木さんの魅力であり、行動力の原点でもある。フリーランスとして活躍するのは必然だったのである。思い立ったが吉日それが自分なんですと自信をみせる白木さんの活躍は今始まったばかりである。

 

 


参考資料

 

政策課題分析シリーズ17 日本のフリーランスについて 内閣府政策統括官 2019