佐野味噌醤油株式会社 代表取締役社長 佐野 正明さん

 

本店        東京都江東区亀戸1-35-8  電話:03-3685-6111

駅ビルアトレ亀戸店 03-3638-2430

砂町銀座店     03-3647-8249

江戸川松江店    03-3651-4035

 

オフィシャルサイト

https://sanomiso.com/


昭和九年(1934年)六月二十五日。東京都江東区亀戸の地に佐野味噌醤油株式会社が創業する。亀戸駅にほど近く明治通りに面してその店舗はある。当時亀戸は日立や三菱、或いは第二精工舎(セイコー)といった大きな工場を有し、そこに関わる中小企業が多数あったことからたいへんな賑わいがあったという。そうした企業は自前の社員食堂を持ち、そこに味噌の需要があると踏んだ創業者は亀戸を創業の地と決める。ちなみに日立の工場は後に亀戸中央公園になり、第二精工舎はショッピングモールを経て現在タワーマンションの建設中であり、いまや亀戸に大工場地帯の面影はない。

佐野味噌醤油株式会社の創業者は現当主であり三代目の佐野正明さんの祖父である。そして祖父母は亀戸の地に店を構えて最初の日の午前に社屋の三階で結婚式を行い午後「味噌・醤油 佐野商店」を創業した。よって創業日はそのまま祖父母の結婚記念日となった。それまで勤めていた味噌屋から独立し、人生を切り開くために必死だったのだろうと佐野さんは想像する。

 

 

橙色の優しい照明が注ぐ店内へと足を踏み入れれば直ちに得も言われぬ芳しい香りに包まれる。目の前には五十種類にも及ぶ味噌樽がずらりと並び圧巻である。もちろん香りの主はこの味噌たちである。色が違い、顔立ちが違い、香りが違う味噌たちの歴史は深い。もともと中国で醤(ひしお)と呼ばれる調味料が生まれた。これは様々な肉や魚を塩漬けにしたり発酵させたりしたものだった。この中から大豆を主原料に用いたものがのちに醤油になり味噌になったと言われている。奈良時代になると未醤(みしょう)という言葉が登場し、これが味噌になったのではないかという向きもある。また日本人は縄文時代から発酵技術を持ち、それと中国の醤が融合したという考えもあるようである。つまり味噌の伝来には不確定な要素が多く、製法や元ネタこそ中国由来であるが、味噌を味噌として完成させたのは日本独自の技術によるものとするのが有力な説である。実際我々がよく知る味噌はここ日本にしかないものなのだ。

 

戦国時代になると味噌が大活躍をする。現代のように肉食が一般的でなかった時代において、大豆は重要なタンパク源だった。大豆は畑の肉と称されるほど豊富なタンパク質を含有し、味噌はその大豆が発酵により分解され良質なアミノ酸になっている。応仁の乱より始まる戦国時代において侍たちのエネルギー源として味噌メシは多いに利用されることとなる。また味噌は防腐効果も期待できることから携帯する保存食としてもその威力を発揮したのだから味噌は八面六臂の活躍をしたと言っていいだろう。将軍たちは戦を前にして大豆の生産及び味噌の製造をさせたというのだから当時味噌がいかに重要なポジションにつけていたのかがわかる。しかし現代人からしてみれば昔の侍たちはよく味噌で戦っていられたなとも思わないでもない。もちろんタンパク源が味噌だけでないにしてもだ。現代でもビーガンのアスリートが活躍しているのを見るが、戦国時代の侍たちは植物由来のタンパク質を効率的にエネルギーに変換できる体を持っていたのだろう。日本人の体は肉食文化の到来によりだいぶ変わってしまったのではないかと思う。

 

佐野さんは現代における味噌の用途の約九割は味噌汁になると言った。その味噌汁の始まりは定かでないが、鎌倉時代にその姿が歴史上に明らかになっている。もっとも味噌汁の起源は鎌倉時代より以前にあるとする説もある。いずれにせよ、味噌汁は室町時代には定着し、下級武士の間で汁講(しるこう)と呼ばれる楽しみ方が広まっていた。汁講とはイベントの主催者は味噌汁だけを作って客を待ち、客は各々の入れ物にごはんだけを入れてもってやってくる。そのごはんと主人が出す味噌汁だけを共に食すだけのことなのであるが、ずいぶん楽しんだらしいことが「桃源遺事(とうげんいじ)」に書いてある。

 

 

「客を請け候ては、其の客どもめいめいに、飯を面桶(めんつう)と云ふ物などに入れ携へ来り、亭主は唯、汁一色のみこしらへ、能き時分汁を鍋のまま座敷へ持出し、うち寄り賞味もてはやして、此の外は何のもてなしと申す儀一つもなけれども、興に入りはなし候由」

 

味噌の普及を後押ししたのは仏教の影響も忘れてはならない。釈迦の教えにより殺生を禁ずる仏教において、味噌は肉魚のない食事をもり立てる重要な役割を果たした。滋養に満ちた味噌は味わい的に食卓を彩るだけでなく、武士のタンパク源となったように厳しい修業に励む僧侶たちの体力を維持する貴重なエネルギー源であった。

 

 

 

鎌倉時代の禅僧であり、曹洞宗の開祖となった道元は食事の大切さを修業と同等とみなしており、食事法について「赴粥飯法」という書を記している。

 

 

 

経(維摩経のこと)に曰く、もしよく食に於いて等なるは、諸法のまた、等なり。

 

諸法、等なるは、食に於いてもまた等なりと。

 

 

これに始まる「赴粥飯法」は現在福井県にある永平寺に保存されている。これはつまり「食」がきちんと整えば、その他の諸々も整うであろうという意味である。ちなみにこの話は実際に永平寺に四日間の座禅研修を受けてきた佐野さんから聞いたものである。佐野さんは座禅を受けにいったわけだが、結果的に食について、また自身が扱う味噌についての知見を永平寺で深めることとなった。

 

大切な食事の中で味噌は滋養にあふれ、タンパク質が豊富に含まれ、食材に奥行きを与えることができる重要な調味料として存在していたに違いない。ところで味噌汁のことを御御御付と書く。御御は御味でありお味噌をさす。御付はおつけとよみ汁物をいう。御が三つもつく料理が外にあろうか。それだけにいかに味噌汁が日本の人々から愛されて来たかがわかるではないか。

 

 

 

味噌の種類を聞けばたいてい三種類に分類される。つまり「米味噌」「麦味噌」「大豆味噌(豆味噌)」である。味噌の主原料はいずれも大豆であるが、発酵につかう麹の扱いによって呼び名が異なっている。

 

米を蒸して味噌用麹菌をつけて発酵させ、塩を加えて(塩切り麹)大豆に投入すれば米味噌となる。

米の変わりに大麦や裸麦で麹を造れば麦味噌となり、全行程を大豆のみで行えば豆味噌となるわけだ。

 

また味噌には色で呼び名を分けたりもする。赤味噌や白味噌というふうに。味噌は原材料の違いによりその色合いを異にするが、その色見を決定的に差別化するのが熟成(醸造)期間である。その期間が短ければ白味噌(クリーム色)となり、長く発酵させれば赤黒くなっていく。しかし中には例外もあり、信州の神代みそなどは低温における長期熟成のため色で分ければ白味噌である。もちろん佐野味噌店に取り扱いがあるので気になる方はお試しあれ。

 

店頭には常時五十種の味噌が並ぶ。また奥の倉庫には二十種の味噌があり、あわせて味噌七十種類の取り扱いがあるという。それらはみな日本全国から取り寄せられた個性豊かな味噌たちである(佐野みそオリジナル味噌を除く)。おとなしいお味噌はあんまりいません。どれもみな個性的で、造り手の魂がこもったお味噌ばかりなんです、と佐野さんは言う。佐野さんが「お味噌」と呼ぶときはまるで子どもでも可愛がっているような響きがある。そう考えると樽々から香る味噌の匂いはにぎやかな子どもたちのおしゃべりのように感じてきた。想像は翼を広げ空へ羽ばたく。

 

 

店では味噌はすべて量り売りとなっている。量り売りの良いところは味見ができることである。実際五十種類もあったらわからない。そこで楊枝の先につけて味見をさせてくれる。単純に甘い辛いではない、味噌の味わいの広さに驚くだろう。中にはブルーチーズのような味噌まである。美味い。量り売りのもう一つの魅力は香りである。蓋を外したときにふわっと味噌の香りが鼻腔をくすぐる。得も言われぬいい匂いとはこのことだ。そしてこの香りもまた味噌によって異なるから面白い。店内にいるとちょっとしたアロマテラピーのような香りのリラックス効果を感じる。発酵食品である味噌は本当に体にいいんだなというのが、理屈を超えて訴えてくる。

 

 

いまでこそ、味噌は体によい食品であるという事実と認識はだれもが同意するところであるが、四十年前はその反対のことが叫ばれたことがある。曰く味噌は高血圧の原因である。曰く味噌はがんのもとである。曰く味噌は……。事実無根の噂に尾ひれがいくつもついて世間に渦巻いた。もちろんすべてデタラメだったのであるが、それを信じたひとも少なくなかったという。そして味噌の消費量は味噌の名誉が回復されたにも関わらず、その四十年前から徐々に下降線を描いてきた。日本人の食生活のスタイルが変化してきたせいである。前述したように、味噌の消費の90%は味噌汁になると佐野さんはおっしゃった。つまり日本人が家庭で味噌汁を飲まなくなってきたのである。

 

本店店内にある飲食スペース「味苑」にて食べられる味噌汁の具材の数々

ユネスコに和食が無形文化遺産として登録されたのは記憶に新しいところである。その和食には味噌も味噌汁も欠かせない一員であることは言うまでもない。その証拠に健康的な食生活をささえる栄養バランスとして一汁三菜がとりあげられている。一汁とは言わずもがな味噌汁のことである。世界に誇れる味噌汁を当の日本人が食べなくなっているというのは寂しい以上のものがある。味噌は良質なタンパク質を備え、発酵によりエネルギーとして使えるアミノ酸に変化している素晴らしい食材である。そして味噌を味噌たらしめたのは我々日本人の先達である。かつては経験的に、そして今では科学的にわかっている味噌の機能性を羅列しよう。

 

・血中のコレステロールを下げる

 

・メラニン色素の合成を防ぐ

 

・動脈硬化を防ぐ

 

・血圧上昇を抑制する

 

などなどなど。

 

 

幸いなことに、ここ数年にきて味噌の消費量は回復傾向にあるという。しかし味噌の本来のポテンシャルを考えればもっと見直されていいはずだ。

 

自然光が差し込む「味苑」天井

味噌汁は家庭の味である。料理屋で出る味噌汁もあるが、多くのひとにとって味噌汁とは家庭の味ではないかと思う。お母さんの味、祖母の味、今ならお父さんの味というのもあるだろう。いずれにしてもその家々の味として味噌汁は記憶に結びついていく。子供時代の原風景として刻まれていく。もちろん家の味がパンであっても一向に構わないわけであるが、味噌汁という温かいスープがもたらす影響は案外大きいのではないかと思う。

 

 

噌ムリエ 本店店長 村上 潤さん

佐野味噌店のスタッフはみんな愛想がとても良い。はきはきしていて気持ちがよい。そしてこれは書くか書くまいか迷ったのであるが、やっぱり書くことにする。ちょうど十年前(2019年現在)私は結婚をした。そのとき頂いたお祝いのお礼の品として佐野味噌店の詰め合わせを贈ったことがある。家族のある家は大きな箱、二人暮らしの家は小さな箱そんな感じで選んでいた。ところがお店が配送の伝票を取り違え、あべこべに送ってしまったのである。その事実は送った先からの言葉で発覚し、すぐさま私は店に問い合わせの電話をかけた。

 

 

するとやはり配送ミスがあったことをお店は認めたのである。このことを今になって佐野さんに話したところ、あってはいけないことと頭を下げられたのであるが、私はクレームをいうために言ったのではない。その後の対応があまりにも素晴らしかったのでどうしても話したかったのである。

 

スタッフの方々は配送のミスを直ちに正し、迷惑をかけた送り先に電話で謝罪の一報をいれ、もちろん私たち夫婦に対しても真摯な態度で接してくれたのである。そしてそれがあまりにもよどみなく迅速に行われたためいよいよもって私たちは佐野味噌の大ファンになってしまったのである。これは、トップダウンでは決して起こり得ない行動だったと思う。スタッフそれぞれが自分のなすべきこと、役割りを自覚し自主的に行動した結果である。ヴィジョンがあり、スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」が言うところのミッションステートメントが形骸ではなく従業員各々の心に強く刻まれている証拠である。もう味噌は佐野味噌でしか買わない、そう決めた瞬間だった。

 

 

ともすれば伝票の取り違えは大事になりかねない失態だったかもしれない。しかしその後の対応によりみごとマイナスをプラス(それも大幅な)に転化させたスタッフを佐野さんは我が社の宝であると言った。「味噌づくり、絆づくり」というヴィジョンを掲げた佐野味噌店はまさに、「一に味噌、一に人材」そんな素敵なお店である。

 

参考文献

 

醤油・味噌・酢はすごい 小泉武夫 中公新書 2016

 

味噌大全 渡邊敦光監修 東京堂出版 2018

 

ウィキペディア

 

永平寺ウェブサイトhttps://daihonzan-eiheiji.com/