2022年9月21日

トロンコーネ 山﨑圭礼さん 智子さん

 

イタリア料理とイタリアンワインのお店「トロンコーネ」

 

オフィシャルサイト

http://troncone.jp/

 

営業時間、ご予約はオフィシャルサイトでご確認ください。

 

埼玉県所沢市松葉町3-1

04-2946-9074

   

西武新宿線新所沢駅を東口に降りて駅を背に右手に三十秒ほど歩けばトロンコーネに到着する。駅近を超えて駅横と呼んだほうが正解とも言えるような立地である。店内に入るとテーブル席がいくつか並んでいて、十人も入ればいっぱいになるであろう。こぢんまりとしたかわいらしい店である。店内の装飾は白い壁と淡い色彩の木材を組み合わせていて全体的に明るくやさしい色調で統一されている。そうした温かみのある雰囲気の中で異彩を放つのが店の奥に鎮座した巨大なワインセラーである。大きなセラーは二つあり、その黒々とした筐体はまるで塔のように聳え立っている。トロンコーネはイタリアとイタリアンワインを愛してやまない夫婦が作ったリストランテである。

 

山﨑圭礼(よしゆき)さんがトロンコーネの料理を担当する。痩せた体型に無精髭を生やし、長い髪をちょんまげに結んだ姿はどこか芸術を志すひとのようである。物心ついた頃から料理人になることを憧れていた。なかでもイタリア料理が圭礼さんの心を掴んでいた。ただ格好良くみえたからと言うが、のちのイタリアへの傾倒ぶりを見れば格好良さ以上の魅力をおぼろげながらに掴んでいたのだろう。ワインバーでのバイトを皮切りにイタリア料理店で下積みから始まって料理人になって、イタリアの料理とワインを学び、独立を夢見た。

 

 

雇われの身で料理人を生涯続けることが想像できなかった。と圭礼さんは言った。だから独立を志すのは当たり前のことだった。しかし思いの丈とは裏腹に、なかなか独立に踏み切れないまま月日は流れていった。独立してお店を始めるということは、行動に大きなエネルギーも必要だし、料理以外の知識も必要にある。ひとりではやりたくなかった。ひとりではやりきれないかもしれないとも思った。圭礼さんにはパートナーが必要だった。そしてついに願っていたパートナーが登場する。それも、店舗経営のパートナーであるだけでなく、生涯のパートナーが登場した。

 

 

山﨑智子さんがトロンコーネのサービスを担当する。智子さんは保育士だった。それが、圭礼さんと出会って、「すごい恋愛」(本人談)をして、気がつけば保育士を辞めて店舗を圭礼さんとともに立ち上げていた。とくに誘わぬままに、と圭礼さんは言った。とくに誘われぬままに、と智子さんは言った。一緒にお店をやるのが当然だと思った。ふたりして当然だと思ったのだから、気が合った以上に気が合ったというよりほかはあるまい。

 

圭礼さんの独立して店を構えるという夢が智子さんに出会って具体的な構想に変わり、すぐさま店を立ち上げたのかと言えば、そうではない。トロンコーネが実現するまでそれから十年ほど時を待たなくてはならない。新しい一歩を踏み出すまでに十年かかったのには理由があった。それは、どんな店にするかということである。ただ独立してイタリアンレストランを開いても長続きしないのはわかっていた。どこにでもあるような店ではやがて価格競争に巻き込まれ体力を消耗し潰れてしまう。ただでさえ、星の数ほどあるイタリア料理屋である。個性がないと判断されてしまえばおしまいだ。自分の店に個性が必要だった。どんな理由で店を続けるかが重要だった。しかしそれはなんだろう。どこにあるのだろう。実際そのようなコンセプトが唯一無二である必要はない。大切なのは、自分がそれを信じて店を続けられるようなものであるかどうかである。イタリアが好き。イタリアンワインが好き。それでもいい。だけど、もうひとつなにか。決して揺らぐことのない理由がほしかった。

 

 

子どもがいなかったらトロンコーネはとっくの昔に潰れていた。そう圭礼さんは言った。そう。トロンコーネのコンセプトを授けてくれたのは子どもという存在だった。子どもに安心安全な食べ物を与えたいという気持ちはそのままトロンコーネの核となった。かくしてトロンコーネは2017年、新所沢駅駅前にオープンした。

 

 

子どもたちの健康を考えるのと同じようにお客さんの健康を考えたい。子どもたちに普段食べさせる安全な食材をお客さんにも提供したい。安全というのは出どころが確かであるという意味である。自分たちが仕入れる食材をだれが作っているのか知っている。もちろん知っているだけでなくてその作り方に共感しているから仕入れている。安心安全を売りにするレストラン自体は珍しくないが、いつもそこに子どもの健康と未来が念頭にある点が、トロンコーネのユニークなところである。

 

世の中の食品は不自然さにまみれている。コンビニに売っている「塩むすび」は決して塩と米だけでできていない。トロンコーネに来てくれたお客さんの中でひとりでも食品パッケージの裏側に気を止めてくれたら、それがぼくらにとって幸せなことになります。そして同時に、人間の健康のこと、地球環境のことを考えてくれるひとがひとり増えたことになります。そんなふうにして、少しずつでも考えてくれるひとがでてきてほしいと願っています、と圭礼さんは言った。

 

 

ところで、圭礼さんは根っからのイタリア好きだが、智子さんまでもがもとからイタリア好きだったわけではない。圭礼さんと出会い、興味を覚え、感化されて、またたく間にイタリア、なかでもイタリアンワインの魅力に取り憑かれていった。保育園を辞めてトロンコーネを開業するまでにワインショップで働き来たる独立に備え、ますますイタリアンワインに傾倒していった。ソムリエ試験にも合格した。おそらく自身でも驚くような人生の方向転換である。保育士になった頃は想像すらしなかった今があるに違いない。

 

 

もともとお店をやっていたうちに嫁いだのとは違う。夫が独立開業してもそのまま保育士を続けるという選択肢も十分に考えられたはずだ。家計的にも収入源を一本に絞るより二本別々にあったほうが安全である。それでも智子さんは保育園を辞め、圭礼さんとレストランをやる決心をした。最初から疑いなく夫婦で店をやるものだと思っていた、と智子さんは言った。自分のお店を出すことは圭礼さんの長年の夢であったが、それを実現させたのは智子さんの腹をくくった強さかもしれない。

 

圭礼さんの情熱はそのまま智子さんの情熱である。或いは二人が高めあった情熱がトロンコーネを作っているとも言える。ひとたびワインについて質問すれば熱を帯びた説明が返ってくる。この料理はなんですかと聞けば話は食材の作り手に及ぶ。ワイン一本、食材ひとつひとつに物語があるから、伝えたいことは山ほどある。料理は熱いうちに食べてほしいのに、話が長いと冷めてしまう。しかし伝えたい。このジレンマが時々ぼくを疲れさせると圭礼さんは言う。そう感じるのは良いことである。ただ一方的に話が止まらないのでは客が嫌がる。圭礼さんも智子さんもそのへんのバランス感覚は優れているから安心して話を聞いていられる。必要な予備知識を得たところでワインだの料理だのに手を付けられれば言うことがない。ワインや料理の背景を知ることで味わいもより深くなるだろう。

 

 

圭礼さんの作る料理はイタリア料理が中心だが、メニューにはその範疇に収まらないものも少なくない。イタリアが好きでイタリア料理を作りたくて今までずっとリストランテで働いてきたのだから技術の基本はイタリア料理にある。その上で上質な食材を活かすための料理法を試行錯誤していく中で自然とイタリア料理ぽくない料理が出来上がった。そんなふうにして、圭礼さんの料理は進化していくのだろう。トロンコーネは当初イタリアンレストランを謳っていたが、いつの頃からか看板からそれを外している。それでいいのだ。目下のところ(2022年現在)圭礼さんの興味の矛先は江戸料理に向いている。江戸時代の料理本を読むのが楽しいという。トロンコーネはイタリアンワインと安心安全な食材を美味しく食べられる料理店ということか。

 

 

 

2017年にオープンして二年もしないうちにコロナ禍になった。ようやく繁盛しだした矢先の出来事だったが、ある意味山﨑夫妻はコロナ禍に救われたとも言える。コロナ以前、トロンコーネはランチも営業していた。トロンコーネはランチで人気の店になりつつあったのである。店は繁盛していったが、それと反比例するように二人は疲弊していった。仕込み、昼営業、仕込み、夜営業。そこに子どもの保育園への送り迎えが加わった。寝る時間もなく、まともに座る暇もなかった。蓄積した疲労で苛立ち、喧嘩が増えた。子どもの世話は祖母に任せっきりで、子どもと触れ合う時間すらなかった。トロンコーネのビジョンは形骸化していった。こんなはずじゃなかった。もうお店を閉めよう、そう脳裏に浮かび、実際に口にもした。

 

 

 

コロナ禍で突然できた空白で、ふたりは考える余裕を取り戻したのである。ランチ営業をやめた。ランチにくる客層は圭礼さんの求めていたものとは違っていた。自分たちがやりたい接客をランチでするのは無理だった。それならいっそのことランチをやめよう。営業を夜に絞ったことで圭礼さんと智子さんのこころに余裕が生まれた。自分たちがやりたいことをやるために作ったお店である。なぜトロンコーネを作ったのか、原点に立ち返って考えた。収入は大事だが、目先の売上げのために自分たちの気持ちを犠牲にしないと決めた。それから少しずつ、トロンコーネは山﨑夫妻の目指す店に形作られていった。

 

 

 

今までのことはみんな必要な通過点だったんですよ。そう智子さんは言った。現在進行系だしね、これからだよこれから。圭礼さんと智子さんはお互いに目をあわせて笑った。